「竜とそばかすの姫」の解釈について
細田守監督の新作である「竜とそばかすの姫」を観た。
エンタメとして面白いかと言われると首を傾げる側面はあったが、ストーリーの要素としては面白い部分が多々あったので、その解釈について触れようと思う。
スズの成長の指標となる3つの要素
本作はサブプロットが存在せず、スズの成長を描くメインプロットのみのシンプルな構成と捉えることができるが、成長の指標として以下の要素に分けることができる。
- 過去のトラウマと歌
- 自分に対する自信
- 大衆からの批判という乗り越えるべき壁
過去のトラウマと歌
過去のトラウマーーこれは母親の死のことだが、幼少期に母と共に嗜んだ音楽は母親を思い出す存在、つまりトラウマの象徴として描かれる。
冒頭の橋のシーンで、スズは歌おうとするだけで声が出ず、しまいには吐いてしまう。それが変わるのが仮想空間Uとの出会い、そして「ベル」という仮面の獲得である。
「スズ」は「ベル」という仮面を獲得することで歌うことができるようになり、竜との出会いを経て、川辺で曲を考えながら口ずさみ、現実世界でも歌えるようになる。
そして、母親が知らない子供を助けたように、竜を助ける為に「ベル」の仮面を捨て、「スズ」の姿で歌うことで過去のトラウマからの解放が描かれる。
自分に対する自信
特にこの要素は分かりにくかったように感じたが、「カミシン」と「ルカちゃん」の存在意義が薄くなってしまうので、逆算的に考えるとこれも指標として設定されていると考えて間違いないだろう。
母親の死をきっかけに「他人の子よりも重要ではない自分」という意識を植え付けられてしまったスズは自分を卑下する傾向にある。
一方で、一人でもカヌー部の勧誘をする「カミシン」、みんなの中心で太陽のような存在である「ルカちゃん」は憧れの存在として設定されている。冒頭の中庭(?)を見下ろす「スズ」は彼らを凄いと評し、自分とは異なる存在だと感じる。
しかし中盤、「カミシン」は1人遠征に行くも思ったような結果を出すことはできず、「ルカちゃん」は想い寄せる「カミシン」に対しては会話もままならなかったという話を聞く。彼らは特別な存在でも何でもなく、自分なりに頑張り足掻いているのだ。
そんな2人の様子を見て、「ヒロちゃん」に素顔で歌うことなんて「スズ」にはできないと言われながらも、「スズ」なりに一歩踏み出す為に素顔を晒して歌うという選択をする。
大衆からの批判と乗り越えるべき壁
本作では一貫して大衆の悪意が描かれる。
母親の死の際には「残された子供のことも考えられない」「偽善者」などと批判され、「ベル」として人気を博した際には賛否半々の意見が寄せられた。
批判は人気につきものとする「ヒロちゃん」とは対極に、「スズ」はこれらの批判に慌てふためき傷つく。
自分以上に批判されてなお立ち向かい、強くあろうとする竜に出会い、その強さに惹かれる。しかし、城を訪れてみれば竜は酷く傷ついていて、自分と同様の存在であることを認識する。
竜との出会いを経て、クラスから「しのぶくん」との仲を疑われて批判された際には「ヒロちゃん」に尻を叩かれながらではあるものの、「スズ」自身、クラスの一部の人に説明して回れるようにまで成長する。
それも一時のもので、「ベル」の正体が自警団のリーダーに暴かれそうになり、現実世界でも「しのぶくん」に正体がバレてしまう。「ベル」という仮面を失った「スズ」は逃げることしかできないが、竜に信用してもらう為に大衆からの批判を正面から受ける決意をする。
素顔を晒すことを選んだ「スズ」には大量の落胆と失望が寄せられるが、「スズ」はそれを正面から受け止めながら歌う。
母は子が思うよりも子の今を見ている。父は子が思うより子の未来を心配している。
「スズ」の成長に置いて比較の対象になっていないキャラクターがいる。「父親」「合唱隊」そして「しのぶくん」である。本作は「スズ」の成長を描く一方で、そんな子供を見守る大人も同時に描いており、彼らはその見守っている大人として存在する。
一般的な作品で考えると母親が亡くなっているので「父親」に焦点を当てがちだが、本作では「しのぶくん」に焦点を当てるべきだろう。
廃校舎で竜の正体を見つけた後、「ヒロちゃん」が「スズ」は素顔で歌える訳がないと言う中「しのぶくん」は「スズ」が素顔でも歌えることを知っており、「スズ」ならできると背中を押す。
そして合唱隊の方々は、「ベル」のピンチを見て、「ベル」が「スズ」だと知っていることがバレちゃうなんて言いながら、廃校舎に駆けつける。
Uを紹介し「ベル」をプロデュースしていた「ヒロちゃん」を除き、「しのぶくん」と「合唱隊」だけが「スズ」の真実に気がついていたのだ。
作品中盤、「ルカちゃん」が「しのぶくん」のことを「スズ」のお母さんみたいと表現する。普通に考えれば「しのぶくん」は男性であり、ここはお父さんみたいと表現するのが正しい。にも関わらず母という表現を使ったのは、「しのぶくん」が母親としての役割を担っているからである。
母親を亡くし川に向かっていく「スズ」の手を掴んだ時から「しのぶくん」は母親の代わりとなって「スズ」を見守ることを選択したのだ。
一方で父親は「スズ」に避けられ、「ご飯はいるのか」と聞くことしかできないが、何とかコミュニケーションを取ろうとするが取れないでいる中、突如一人で東京に向かうことになった「スズ」に対して、メッセージを送る。優しい子に育ってくれて良かったと。これは細田守監督の母性・父性観が如実に現れている物だろう。
母は子が思うより子のことを見ている。だから「スズ」が「ベル」であえることも気がついているし、「スズ」が歌えるようになっていることも気がついている。
父は子が思うよりも子の成長を心配していて、影で見守っている。といったところだろうか。
いや、父性観についてはどう捉えるのがいいか判断に迷うところではあるのだが。
そして「しのぶくん」は「スズ」が独り立ちした証明としての役割も最後に果たすことになる。
物語の最後、「もう見守るだけの存在でなくても良い」。つまり、「スズ」が独り立ちして母親としての役割を終えていいと判断し、一人の男性(恋愛対象)になるのだ。
ところで、見守る存在といえば天使(As)の存在があるけれど、あの正体は果たして誰なのだろうか。
「美女と野獣」というモチーフ。そして、細田守が仕込んだメタ要素
「美女と野獣」についても触れておこう。
言わずとしれたディズニーの名作として知られる、本作にも「美女と野獣」をモチーフにした要素が多分に含まれていて、実際にインタビューでも「美女と野獣」について監督は触れている。
分かりやすいところだと、「スズ」と「ベル」の名前だろう。
この名前は「美女と野獣」のヒロイン「ベル (Belle)」の日本語表記からもじったもので、実際作中にも「美女と野獣」のヒロイン名の由来である「Belle」(フランス語で美しい)を出して「BellではなくBelleが相応しい」といった趣旨のセリフが入っている。
では、ストーリーには「美女と野獣」をどう取り入れているのだろうか。
「美女と野獣」の本質は「見た目に惑わされること」なのだと思う。
王子は見た目で人を判断したが為に呪いをかけられ、変えられた見た目によって様々な反応を受ける。そんな中、ベル(美女)だけが見た目の裏に隠された真実を見てくれる。
そう捉えると見えてくる物がある。
本作で野獣の役を演じている竜を見た目で誤解している人は誰かというと、ベル以外の大勢であり、そして自警団である。そして、紛れもなく自警団のリーダーがガストン役(ベルに懸想し、自分の欲望の為に野獣を討伐しようとする者)だろう。
自警団のリーダーをガストンと置き換えると、自分の欲(恐らくは名誉欲)の為に竜の正体を暴こうとしている存在として設定されていると想像できる。
竜はベルのライブを台無しにしたことをキッカケに、大衆に批判されることになるが、彼は悪事を働いた訳ではなく、ライブの件も自警団に追われてドームに侵入したのであって別に意図した物ではない。
竜の攻撃によってAsが使えなくなるらしいようなことは作中で触れられていたと思うが、竜が人を襲ったということはなく、闘技場で有名になった存在であることは名言されている。
それにも関わらず、大衆は「竜の見た目が醜悪である=中身の本質も醜悪である」と捉え、正体が暴かれることを望み、その民意をかさに自警団達は集団で竜を襲っている。
これをメタ的に捉えると、SNSを使う我々は上辺だけを見て見当違いの意見をし、それを自らの欲の為に利用する者がいる。という風刺の効いた設定になる。
その自警団に企業スポンサーが付いているのだ。穿った見方をすれば、商売の為に企業は容易に平和を滅ぼすといったところだろうか。
そして、自警団が敗北を喫するのは「ベル」に純粋に負けるのではなく、「ベル」の自ら素顔を晒すのを辞さない覚悟、そして「歌」によって民衆の関心を失ったことによる物である。ーー芸術は人の心に届く力があると言ったところだろうか。
昨今、五輪関係者に対する批判や解任騒動のニュースが流れるのを見るにつれ、何ともまぁ凄いタイミングで公開したものだと関心を隠せなかった。
平和の祭典は戦時中だろうと、この時だけは一旦棚に上げてという趣旨だと理解しているので、どれだけ過去に相応しくない言動があったとしてもスポーツの場では一旦それを忘れるべきではないだろうか。「スズ」の歌を前に言葉を忘れ涙する大衆のように。
そして、過去について反省するキッカケになれば良いと思うのだが。
という訳で、自分のストーリーの解釈について整理しきれていないなりに纏めてみた。
私としては「スズ」の成長物語をベースにしつつも社会風刺としての主張を入れてきたなという印象だった。風刺するにしては主張らしい主張が成されていないようには感じたが。
物語の詳細はともかく、要素としてはそれなりに良く組まれていると思うので、2回目以降観たらまた違う感想を抱くのかもしれない。これが、少しでも作品理解の参考になれば幸いだ。
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