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「きみの色」の解釈について

山田尚子監督の「きみの色」を観てきた。
ストーリーについて自分なりの解釈を纏めようと思う。本編のネタバレを含むので、未視聴の場合は気をつけて欲しい。

トツ子が見る色とは?

トツ子はファンタジックな能力を持っていない

話の随所で登場する日暮トツ子の「人の色が見える」という設定から考える。
これをファンタジックな能力(つまり、トツ子は実際に視界にその色を捉えている)と解釈することも可能だが、他の人間が見ている情景も見えていることから、これは比喩的な表現だと考えるのが妥当だと思う。

多くの人は声を聞くだけで、その人が「怒っているか」「悲しんでいるのか」をある程度判別することができると思う。その延長で、トツ子は行動や雰囲気といったものも含めて、その人の性質や感情を言語化できない形、つまり色として認識しているのではないだろうか。

これは、恋を知らないから言語化できないが、その雰囲気を敏感に感じ取れる。そういった若年層の性質をうまく演出に設定だと思う。

それぞれのキャラの色の意味

クリスマスのシーンで作永きみからピンク色を感じたなど、その時の感情によって変わるものではあるが、本作では各キャラクターの性質を色という形で設定している。
では、それぞれに設定される色にはどのような意味があるのだろうか。これは、色彩心理と大きく紐づいていると考えられる。

日暮トツ子(赤色):明るい、リーダーシップ、行動的
作永きみ(青色):冷静沈着、知性的、クール、寂しい
影平ルイ(緑色):慈愛、安心、落ち着いている

それぞれが作成する楽曲にもこれらの性質は色濃く現れており、きみの曲に対し、ルイは寂しそうだったからと包み込むようなアレンジを加えるシーンは、青と緑を象徴するシーンだった。

そして、作中で出てくるピンク色は当然、恋だろう。トツ子が子供の頃に、私もピンクになりたいと言うのは「恋をしたい」(恋というものを知らないけど)ということなのだと思う。何とも、女の子らしいことである。

悩みと成長

トツ子の場合

本作は悩みを抱えた少年少女がバンドを通して成長する物語である。では、トツ子は何に悩み、そして成長したのだろうか。

冒頭に他の人との違い(=色が見えること)についての説明があるのでミスリーディングになっているように思うが、トツ子の成長は「自分の色が分かる」ことで描かれるので、色が見えることが悩みではないと考えられる。
もし、色が見えること自体が悩みなのだったとすると、最後には色が見えなくなる(気にならなくなる)というのがよくあるストーリー展開である。(同監督の「聲の形」はその類型である)

では、トツ子の悩みが何かというと、教会での祈りのシーンにヒントがある。

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。

トツ子が教会で祈るシーンで、ニーバーの祈りが引用され、今自分が欲しいのは「変えることのできないものを静穏に受け入れる力」であると述べる。

タイミング的に他の解釈もありそうだが、トツ子は自己という「変えることのできないもの」について受け入れることができていないのだと思う。だからこそ、他人の色(=性格・性質)に憧れ、自分の色(=自分の良いところ)を見ることができていない。

バンドシーンにおいて、前2曲では観客の心を掴めていなかったにも関わらず、トツ子が作曲した「水金地火木〜」が始まるや否や体育館に人が集まってくる。
これは、トツ子が持つ人を明るくさせる力が色濃く出たものだろう。トツ子は作中を通して、自分の良いところを受け入れ、赤色の特徴があることに気づくことができたのだ。

きみとルイの場合

きみは祖母に学校を中退したことを打ち明けられずにいる。そして、ルイは母親の期待に反して音楽をやりたいというのを隠している。
これらは作中で分かりやすく描かれ、2人が同時に打ち明けてライブに来て欲しいと言うシーンは本作の重要なシーンになっている。

では何故2人は打ち明けることができなかったのだろうか。それは、親(母親・祖母)の期待する人物像と相反する自己との間に葛藤があったからだろう。
そう捉えると、この3人は皆、自己の形成において悩みを持ち、他の2人との交流を経て、自分を認めることができるようになり、前へ進めるようになったのだと思う。

現代における宗教の役割

そう考えると、本作では一貫して自己形成について描いていることになるが、そうするとミッションスクールが舞台となった理由も見えてくる。

日本において宗教は忌避されがちであるが、実際のところ神道・儒教・仏教といった教えが価値観の中に深く根付いている。例えば、年上を敬うという価値観は儒教から来ていると思われるし、物を大切にするのは神道から来ているように思う。多くの日本人は無宗教などと言いながら、明文的に教わっていないが故に様々な宗教が入り混じった価値観を有している。
科学の発展などによって宗教の意義は昔と比べると失われつつあるが、それでも「生きる目的」「自分の在り方」といった自己形成面での意義は大きいのではないだろうか。

作中では、トツ子は学校の中でも珍しい教会によくいる生徒として描かれ、3人の中では最も自己形成ができていると言える。
そんなトツ子に影響される形で2人は自己が整っていく。このように解釈すると、とてもシンプルな物語となり、点と点が繋がっていくのではないだろうか。


映画本編以外の情報をあまり仕入れていないので、筋違いのことを書いているかもしれないが、内容の理解の一助になれば幸いである。

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